歴史の新事実

歴史の新事実、新常識をお伝えします

織田信長は比叡山を全焼させてなかった!

 

 

自ら第六天魔王と名乗り残忍な性格を裏付ける行為といえば

 

1571年の比叡山延暦寺焼き討ち事件だろう

 

火は比叡山全体に燃え広がり、抵抗する者は女子供も容赦なく斬り殺した

 

400棟近くの寺社塔が焼失し犠牲者は数千人にも及ぶ大虐殺だった 

 

しかしこれらのエピソード、実は大幅に誇張されているのだ 

 

信長が比叡山の焼き討ちを行ったは事実だ

 

当時敵対していた浅井氏、朝倉氏が比叡山とつながりがあったため 

 

信長は比叡山を敵視していた

 

比叡山側も信長が比叡山領を奪ったことで敵意を抱いていた

 

戦略上比叡山を敵にすべきでないと考えた信長は何度か[こちらの味方になれ]と 

 

伝えている それでも比叡山が頷かなかったため焼き討ちにでたのである

 

山一つ丸ごと燃やし、いくつもの堂を焼いたように言われていたが

 

滋賀県比叡山の発掘調査を行ったところ

 

焼土層があまりみつからず戦国時代の遺構も発見できなかった

 

焼き討ちで失ったとされていた建造物は、戦国時代以前に焼失していたことが

 

わかったのである

 

つまり織田信長が行ったのはボヤ騒ぎ程度の建物への放火だったのだ

 

虐殺されたとされる多くの僧侶も焼き討ち当時は山を下りて別の場所に

 

いたという記録もあり、こちらも誇張である可能性が高い。